ぼくが13人の人生を生きるには身体が足りない

haru『13人の人生を生きるには身体が足りない』(河出書房新社,2020)を読んだので、感想とメモを書いておく。

感想とメモ

これといった前情報もなく読んでみたが、とても、面白かった。

この本の著者と概要

この本は、解離性同一性障害当事者(一昔前には多重人格者と呼ばれていた)、性同一性障害、ADHDというさまざまな生きづらさを抱えたharu@hr_3200氏が、自分の半生と今後の展望を綴った手記、ということで良いのだろうか?

一風、変わった構成をしている。

めまぐるしく変わる語り手

読んでいて、まず、思ったのは語り手がめまぐるしく変わる、ということだった。

数えてみると20回以上も語り手が変わっている。200ページほどの、手記のような本で、ここまでコロコロ語り手の変わる本というのもなかなかない。

それでも、あまり混乱することなく読める。右下に今の語り手を示すアイコンが描かれて、語り手が変わればフォントも変わる。これはわかりやすい。

この本によれば、人格が変わる時には、表に出たい人格が自ら立候補するのだという。

これは本を書いているという情況がそうさせているのだろうか。

それほどに本を書くということで語りたくなることがあるのだろうか。

おのおのの人格にはそれぞれの歴史がある

ひとりひとりの人格は、振り返ってみれば、主人格の人生の節目節目で生まれていると語られる。

「交代人格は、きみをささえるために生まれてきたんだよ」

ひとには、ひとりではとてもじゃないけど、支えきれないときがある。

haruというひとは、それをたったひとりでやろうとしていたのか。

解離性同一性障害当事者というのは生きづらそうだと思ってきたが、むしろ、事態は逆であって、生きづらさに対応していくために人格は生み出されてきた。

人格ひとつひとつに個性をもたせられる人間の可能性

この本を読んでいると、ひとりの身体に、段取りがうまく理数系の勉強が得意な人格、プログラミングが得意でアプリをつくってしまう人格があるかと思えば、他人のツイートにぶら下がるツリーを眺めていて、「日本人なのに日本語が読めないのヤバいな」と思い「じゃあ自分は読解力が備わっているのか?」「自分はオタクなのに推しに対して尊い以外の語彙がない」ということに危機感を覚えて国語を必死で勉強している人格が同居している。ファッションセンスもそれぞれ異なり、そうした違いにそれなりのリスペクトをもちあっている。

こんなの頭パンクするんじゃないかと思ったが、実際にはパンクしないものだ。もちろんharuという人の地の頭がよいという可能性もある。それでも誰にでも得意・不得意というのはあるものだが、それは人格にかかってくるので、能力そのものではないということは言えるのではないか。

というか、日本人なのに日本語読めないのヤバイ…というのはほんとうにそう思うのでどうにかしようと思った。

まとめ - 解離性同一性障害当事者の見ている世界を知る

解離性同一性障害というと『ジキル氏とハイド氏』や『24人のビリー・ギリガン』が有名だ。

そこで描かれていたのは危険な、猟奇的な、狂気じみた、昔ながらの精神病のイメージ(というか、昔の話だし)をもってきた。

しかし、この本に出てくる人格はひとりひとりがほんとうに優しい。

これはもちろん解離性同一性障害の症例のひとつだろうが、解離性同一性障害=『ジキル氏とハイド氏』というのはステレオタイプに過ぎない。

人格というのも、実は、実に多様なものなのだ。

今度、悟くんの大好きだというレンタルなんもしない人の本を読んでみよう。

書誌情報

著者
haru
対談
レンタルなんもしない人
解説
岡野憲一郎
構成
須藤輝
編集協力
宗円明子
装丁
田村奈緒
装画
三好愛
出版社
河出書房新社
出版日
2020年5月30日
ISBN
978-4-309-24963-6
公式ページ
ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。 :haru|河出書房新社