8月10日。テレビで淀川花火大会を視た。実況・解説される花火体験だった。

夕方前に浴衣姿の若い男女が数組たむろしていた。

どこかで、お祭りでもあるのかなと考えていると、今日は淀川花火大会の日だと思い出した。

暗くなるまでだいぶあるというのに、と思ったが、今から行ってもすでに場所取りは終わっているのだろう。

花火を見るというより、浴衣でお出かけするということが楽しみだったのかもしれない。

夜になって、テレビを見ていると、淀川花火大会の中継が始まった。

内藤剛志、ホラン千秋、笑い飯・哲夫が花火の実況・解説をしている。

中西哲夫という人は、お寺好きを公言し、仏教に関する本を何冊か出していて、テレビでもお寺について解説するコーナーをもっている人であるが、花火についてもうんちくを述べるほど詳しいのか。お寺は一年中あるものだが、花火は一年のうちのこの時期にしかないものだから、これまであまりこの芸人さんの花火方面の知識に触れる事が無かった。芸のある人は知識の広いのだな、と感心した。

ホラン千秋は、中継の中で、何度も哲夫よりも、言葉での花火の表現が優れていると褒められていた。その評価について何か評価することはできないかな。ただ、ホラン千秋のブログ記事なにわ淀川花火大会2019を見てからだと、それからは想像もつかないような語彙の豊かさがたしかにあった。

内藤剛志は「日本は江戸時代を通じて平和であり、戦争では大砲や鉄砲に使った火薬を、長い太平の時代に花火として利用してきた。こういう文化は日本独自のものであり、平和な日本だからこそできたものであり、今後につなげていかなければならない」というようなことを述べていた。

最初は相撲や野球の中継のようだ、と思ったが、スポーツ中継のように、花火師であるとか、花火評論家であるとか、そういった専門家は出なかった。

ただ、打ち上げた花火が爆ぜる時のずどんと身体にくる振動はテレビからは到底、感じられないのはしかたのない話であるが、テレビならでは、映像ならではの見せ方として、さまざまなアングルから映す、ちょっと前に録画していたものを映す、というのはスポーツ中継的だな、とも思った。

その場にいるという価値が無い分、テレビにはテレビの編集されるという特性を生かした見せ方がある。

わざわざ暑苦しいなか、人ゴミに出かけることもないテレビで見ればいいだろうという見方もある。

実際に見て、なおかつ、テレビ録画でも見るという人もあるだろう。

テレビでのひっきりなしの芸能人たちの語りがうるさいという見方もあるだろうが、ちょうど真夜中にやっている五輪のマイナー競技の中継のように、テレビでは花火だけでは映えないのも確かなところだろう。

実際に見事なものであるだろう。しかし、かつて、第一回には古老曰く花火の音にびっくりした犬が吠え散らしたというころの素朴さはもはやそこにはない。音楽とリンクさせた花火大会(音楽が邪魔という見方もあるだろう)ということもあわせて、そんなことを考えさせられた。