『ヨルダンの本屋に住んでみた』を読んだ

感想

海外旅行が一般的になって久しい。台湾や韓国なら国内旅行よりも安価にできる時代だ。今を生きるわれわれは、ここではないどこか、行こうと思いさえすれば行けそうなどこかへと思いを馳せる。若者が世界を放浪するのは未だに青春の王道でさえあるだろう。

本書『ヨルダンの本屋に住んでみた』はその意味ではザ・王道をゆく。

世界を放浪していた若い女性が、日本でどこにあるのかもピンときていないヨルダンの本屋を見つけて、身一つで住み込みで働くという。そこには世界各地から同じように流れ着いていた若者たちがいて、それはまあ楽しかろう羨ましい。こんなの面白くないわけがないじゃないか。

気になったのは、日本人が書いているにも関わらず、ほとんど他の日本人が出てこないということだ。日本人どころかアジア人の影も見えてこない。ヨルダンには日本人を含むアジア人は滅多にもいないのか、それとも著者のフィルタリングによって消されてしまったのか。いずれにしても目立つのはヨーロッパの国々の人たちで、なるほど、ヨルダンは日本からよりもヨーロッパの方がずっと近いのだ。

日本にいて、台湾であるとか、韓国旅行が国内旅行よりよほど安いからなどと言っていると自然と日本を中心に世界を見がちになる。しかし、「極東」などというよりに、ヨーロッパから見て、日本は極端に東なのだということを知らしめられるような気分になる。

著者よりも若い人たちは、この本を読んで、同じ本屋に突入するのではなく、自らの本屋を見つけなければならない。結局、本屋を作った、実に適当な店長が一体何者なのかもいまいちよくわからなかったが、きっと、何かしらあって、故国ヨルダンで本屋を開業しなければならないと悟ったのだろう。著者よりも年長で、本屋にも行きそびれた中年以降はもはや自らの本屋をつくらなければならないのだろう。

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