『アナキズム』を読んだ。

感想

「アナキスト」という言葉からイメージするのは、往々にして破壊的で破天荒な人物像だ。

「アナキズム」という言葉からイメージするのも、混沌とした「無政府状態」のイメージである。

「無政府主義」という訳語がそのイメージをさらに強めているのかもしれない。

そういうイメージもあるけれど….と本書は言っている。

本書が提示するアナキズムの本質は極めてシンプルだ。

誰かに決めすぎさせない。

誰もが自分の人生の舵は自分で取る。

そんな世界はいかにして可能か。


現代社会において支配的なのは、煎じ詰めれば「支配と序列に基づくシステム以外に選択肢はない」という強力な思い込みだ。

しかし、この本は「他から指図されることなく自分たちの生活をコントロールしたいか?」と問いかける。

この問いに対しては、多くの人が首を縦に振るのではないか。

支配からの解放と成功への平等な機会を望んでいる。

それを「絵空事」として諦めさせている構造的な不平等こそ乗り越えられるべき障壁として立ちはだかっている。

支配と序列に基づくシステムの最たるものは「国家」である。

国民国家の幻想は、国家が国民に対して安全と福祉を提供するという神話に基づいている。

しかし現実には、多くの国家はその役割を果たせていない。

人々が生き抜くために行う協力こそが、アナキズムの実践そのものである。

それは決して無秩序なものではない。

トップダウンの強制された法に代わる、合意と納得に基づいた生活のルールの再構築に他ならない。


権力とは社会的な関係である。

支配も序列も決して天与にして自明のものではない。

だから、考えるひとが多くを占めたなら、社会は変わる。変えることができる。

今、ここにあるクソだけが全てではない。生きるに値する社会は、我々の手で築けるのだ。

その上に立って、個々人が思考し、他人と協力を始めた時からもう社会はすでに変容を開始している。

アナキズムとは、その変容のプロセスなのだ。

そう、この本は論じている。