今是記

【映画】「地獄の黙示録」40年前の地獄絵図を観た

地獄の黙示録を見た。原題はアポカリプス・ナウ。もし、この時代にTwitterがあったならアポカリプス・なうと書きそう。

実は地獄の黙示録を観るのは三度目、映画館でははじめてとなる。一度目は高校生のときで、途中から寝ていた。二度目は学生になってからでなんじゃこりゃと思っていた。映画館でやっているヨ、と知ったのは昨日で、いつまでやっているのか見たら今日までだった。だから、観に行ってきた。

地獄の黙示録のあらすじを簡単に書いておくと、アタマのイカれたコーツ大佐を暗殺しろと命令された将校が河を遡っていく、という割とシンプルなストーリーだ。もちろん、ラスボスにも会える。当然、ぶっ倒す。ミッション・コンプリート!!ここには何のひねりもない。

だって、ストーリーはもはやメインではないからだ。シュワちゃんやスタローンの筋肉芸術を魅せるアクション映画ではない。兵器のかっこよさをこれでもかと誇示するミリタリー映画でもない。かといって戦争はこんなにも悲惨なんだからやめましょうねという教訓たっぷりの反戦映画ではなおさらない。もちろんアクションはある。ミリタリーもある。反戦メッセージだってある。

いちいち絵のような映像が描き出しているのは、地獄に住むのもやっぱり人なんだ、ということだ。人間はとても大きなストーリーにすがる。国であるとか正義であるとか。この大きなストーリーのなかでは、時として一個人はただの一個の歯車のようになってしまう。かといって、そういう大きなストーリーから外れて生きていけるほどひとりひとりの人間の正気というのは強くはない。

この映画の原作となった闇の奥は、資本主義と植民地主義を背景にした作品だったが、この映画では土地に執着するフランス人たちを通して植民地後を描いているようだった。植民地後の資本主義の地獄絵図。

この戦争とは、何であるか。どんな大義名分があるのか。現場の兵士たちは、そんなことには関心がない。われわれだって同じだ。

いつの間にか何か解釈しよう意味を汲み取ろうとするのを辞めていて、ただただ、繰り広げられる地獄を見つめるだけの身体になっていた。豆腐メンタルはぺっしゃんこになっていたが、かといって、何かをそこから吸い込めたわけではない。ただ、見つめる、見つめさせられる。三時間があっという間だったわけではない。ケツが痛くて仕方がなかった。それでも目と耳を釘付けにして離さない何かと対面させられた。その何かにはきっと良いも悪いも善も悪もない。


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