アウシュヴィッツを知らない大学生の『アンネの日記』の読み方のメモ

悶問(仮)のためのメモ書き。

今年はじめ、とある呑み会で「最近の大学生はアウシュヴィッツも知らないらしい」という話題が挙がった。大学生がアウシュヴィッツを知らない!真偽は知らない。この手の嘆きのバリエーションは実に豊かだ。いくつか例を挙げてみよう。

実に惨憺たる有様ではないか。アウシュヴィッツくらい知らなくても不思議ではない。

実際には、こうした「知の頽廃」「教育崩壊」を真剣に問題として捉える人間は少数派でしかない。多くは「最近の若いものは…以下略」と溜飲を下げ、学校教育の無能を嘆いてみせて自意識を慰め、ストレス発散に活用している。

あの呑み会の議論も「学校では習わないのか」「歴史の授業も近現代はほとんどやらない」11という話がひとめぐりしたのち、何とはなしにほかの話題へと移っていった。

しかし、われわれが問うべきであったのは、学校のだらしなさではなかったのではないか。

あのときのわれわれとは「石牟礼道子作品を読む会」に参加したわれわれであった。

そこには演劇関係者や文化事業に携わる人が出入りしていた。

そのわれわれがあの日あの場で考えるべきだったのはアウシュヴィッツを知らない大学生はアンネの日記をどう読むのかということではなかったか。

ドストエフスキーを知らない院生のバフチンの読み方であるとか、太平洋戦争を知らない学生の「火垂るの墓」の観方があるように、アウシュヴィッツを知らない人のアンネの日記の楽しみ方があるとすれば、それはとりもなおさずアウシュヴィッツを知っているわれわれはアンネの日記をどう読んでいるのかを問い直すことでもあるはずである。

今回のわれわれとは、いずれこうした話題を俎上にあげる場にいるわれわれである。

あの日あの場でできなかった問い直しをその日その場でわれわれはしていきたい。


  1. 岡部恒治, 西村和雄,戸瀬信之『分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない』東洋経済新報社,1999年 ↩︎

  2. 石田英敬「「教育崩壊」の時代と大学の未来」岩波書店『世界』2002年11月号 ↩︎

  3. 同上 ↩︎

  4. 同上 ↩︎

  5. 平山一城『大学の淘汰が始まった!』宝島社,2013年 ↩︎

  6. 堤堯「ある編集者のオデッセイ—文藝春秋とともに(第103回)李登輝邸から「南京虐殺記念館」へ」『月刊Will 2010年7月号』WAC出版 ↩︎

  7. 戦後70年約4割が「知らない」 / 東海大学新聞 ↩︎

  8. 日本地理学会 » Blog Archive » 地理教育専門委員会報告「大学生・高校生の世界認識の調査報告」 ↩︎

  9. 日本地理学会 » Blog Archive » 地理教育専門委員会「大学生・高校生の地理認識の調査報告」 ↩︎

  10. 芳沢光雄『「%」が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥』光文社,2019年 ↩︎

  11. たとえば、3月14日の安倍首相の会見では、学校ではオマケであるはずの春の高校選抜野球と卒業式の中止については言及があったが、本家本丸であるはずの教育については一言も触れられていない。国民の教育を受ける権利の保障という観点が根本的に抜け落ちている。歴史科目では、こうしてワリを食って省かれるのが近現代史ということになる。令和2年3月14日 新型コロナウイルス感染症に関する安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ ↩︎