天災転じて人災と為した...関東大震災97年目

97年前の今頃に東京市内をぶらぶら歩いていたら、きっと、アタマのネジが外れてしまった江戸っ子にとっ捕まって「一円五十銭」と言われた挙句に竹槍でブスッと一突きにされていたんだろうな、と思いました。

ガッコウのセンセイにいわせれば、キョウイクシャらしく、そんな危ないところをほっつき歩いていたお前が悪いとのたまうのでしょう。

もちろん、どう考えたって天災のドサクサに紛れて血を求めるにまかせた火事場殺人鬼どもが悪いに決まっていますよね。

9月1日は、防災の日―関東大震災の日でした。

小学生の時には来る東海地震に備えた避難訓練の日でした。

でも、その避難訓練では非常時のドサクサの中の虐殺から身を守る術は教わらなかったな、とも思いました。

天災 関東大震災の被害

震災の惨禍は愁眉を極めました。

地上に阿鼻叫喚が現れたのです。

横網町公園に避難した人たちは、四方からの火炎と「火災旋風」に巻き込まれ3万8千人もの人が亡くなりました。

大都市を焼野原とし、十万人もの人が亡くなった関東大震災。

しかし、生き残った人たちにも、地獄が待っていたのです。

人災 虐殺の無差別さ

朝鮮人、中国人、社会主義者、ろうあ者、どもり、田舎者そのほか文字通り数知れないひとびとが殺されました。

なぜ、殺されたのか?殺されるに値する理由などありません。

香川からの行商人15人が襲われた福田村事件をみれば、日本人だからといって殺されなかったわけでもないということがわかります。

殺害された犠牲者には妊婦や幼い子どもも含まれていました。

この事件の悲惨さに比較して、殺す側の殺す理由とは実にとってつけた理由にもならないものでした。

後世ではデマがどうこうといわれるけど、もはや、デマがどうのという問題ではありません。

災後 戦争への道

アタマのネジの外れた連中は褒めてもらえると思って警察署で嬉々として凶行をベラベラ自慢したそうです。

もっとも警察の方でも同じようにネジがとんでいたから、日本史上の汚点というほかないジェノサイドの実行犯どもは無罪放免になるか、軽い刑期も恩赦でさらに短縮されて意気揚々と娑婆に凱旋していきました。

なんたることか、日本人のふだんからゆるんでいたネジが非常時にポロリと落ちてどっかに行ってしまった、ということなのでしょう。

それはやがて日本全土の焼野原にまで行きついてしまうことになります。

まとめ 防災の日の今日的意味

問題はわれわれのアタマのネジはどれだけゆるんでいるのだろうか、ということです。

平和ボケも手伝って人間というものに対する危機感が足りないのかもしれません。

人間どんなときにネジが抜けてどんな悪事をしでかすかわからない、それでも救われるんだ、と親鸞は言っています。

そういう人間存在であることを意識していく。

それが防災の日のもうひとつの今日的意味であるように思えるのです。